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実践は人生から生まれる:けテぶれ・QNKS・心マトリクスの源流

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けテぶれ・QNKS・心マトリクスは、既存の理論を教室に当てはめることで生まれたのではありません。教室で子どもたちと過ごす中で「効果がある」と手応えを得た実践が積み重なり、後から様々な理論と符合していった——これが葛原実践の起点です。荒れた学年での失敗経験を心マトリクスで共通理解し直したこと、自由進度学習が「管理しにくい」とされてきた子どもたちの力を引き出したこと、けテぶれシートと大分析が6年生で本格的に機能し始めたこと。それら一つひとつが、教師自身の人生と深く結びついた実践として立ち上がってきた過程を、この記事では丁寧に追います。

実践は理論の後ろを歩く

葛原実践に触れた人が最初に驚くのは、その一貫性の深さです。けテぶれ・QNKS・心マトリクスという三つの実践が、互いに支え合いながら教室の学びと学級づくりを貫いている。その構造を前にすると、「よほど精緻な理論的設計に基づいているのだろう」と思いたくなります。

しかし、葛原自身の語りはまったく逆の順序を示しています。

> 「実践ベースで、その教室で効果が出るというところでやっていると、結果的にいろんな理論理屈と結びつくことになりました」

実践が先にあり、理論は後から「符合した」のです。心マトリクスの構造が陰陽思想や様々な哲学と重なっていくのも、「それを作ろうとしたから」ではなく、教室という「本物の人間・本物の社会」を目の当たりにしながら作ったからこそです。この世を説明しようとして作られた理論と、教室という現実から立ち上がった実践が、結果として響き合う——その順序が、葛原実践の強さの根拠になっています。

学習科学や認知心理学の知見は実践を豊かにする参照軸になり得ます。ただ、「理論があって、それを実践に落とし込む」という方向性だけでは、教室の現実を十分につかめないことがある。葛原実践は、この逆の方向——現実から出発し、理論と後から接続するという道筋——の説得力を体現しています。

語りが届くのは、生きることと言葉がつながっているから

もう一つ、このシリーズを通じて浮かび上がってくる問いがあります。「なぜ葛原の語りは人に届くのか」という問いです。

葛原はこう言います。

> 「あなたの生きることとつながっている言語っていうものが、初めて相手に届くんだろうな」

言ってることとやってることが符合し、さらにそれが生きてきた道筋とも符合している。この三つが重なった言葉だけが、聞き手の中に根を下ろします。実践の背景にある人生——荒れた学年との格闘、失敗と共通理解の積み重ね、管理しにくいとされた子どもたちが自由進度学習の中で輝き始めた経験——を聞くと、なぜけテぶれ・QNKS・心マトリクスがそれぞれの形をしているのかが、論理としてではなく体験として伝わってきます。

「自分は何を子どもたちに語れるのか」を探している教師にとって、この視点は一つの手がかりになります。今言っていることと、自分が生きてきた背景とのつながりを見出していくこと——その過程が、語りの厚みを作っていくからです。全部を洗いざらい開示する必要はありませんが、接続を意識することが、子どもたちへの語りの射程を変えます。

心マトリクスが「失敗研究」になった日

学びのコントローラー
学びのコントローラー

4年生から持ち上がりで担任した5年生のクラスは、1年生から長く荒れてきた学年でした。自己効力感・自己肯定感が低く、人間関係も壊れていた4月のスタート。そこへ自然学校(3泊4日の宿泊体験)が重なります。プログラムを仕切る学生スタッフが子どもたちを盛り上げようとするものの、何もかもうまくいかず、スタッフ自身が部屋から出てこないという状況に陥りました。

学校に戻ったとき、クラス全体が「明らかな失敗経験」を共有していました。葛原がここで動いたのは、その失敗経験を責めることでも、なかったことにすることでもありませんでした。心マトリクスを使って、「あの時何が起きていたか」を全員で振り返り、共通理解を作るという実践です。

> 「心マトリクス的にどういう状況になってたかっていうことをみんなで振り返って、解釈して分析してこういうことだったよねっていう共通理解を得て」

心マトリクスで言えば「閉じたグループ」——特定の集まりが互いに対立したり、内部でいざこざを起こす状態——がクラス全体に発生していたことが言語化されました。その言葉を全員で共有することで、「あれにならないために」という意識がクラスの中に生まれます。これが「失敗研究」として機能した瞬間です。

失敗は、分析と共通言語さえあれば、次の動きに向けたエネルギーになります。心マトリクスは単なる子どもの内面分析の道具ではなく、集団が経験した現実を共通理解するための地図として機能した——このことが、その後の実践を支える重要な確信になっていきます。

自由進度学習が見せた「管理しにくさ」の正体

けテぶれ×QNKS
けテぶれ×QNKS

その年、研究主任として全校研究での完全自由進度学習にも取り組んでいました。複雑な説明的文章をテーマに、全授業全時間を自由進度で展開するQNKS形式の実践です。

ここで見えてきたことがあります。

> 「今まで管理しにくい子たちだったっていうだけで、自分で動かさせてあげると、普通に動くんですよ」

「管理しにくい」とされてきた子どもたちの多くは、「指示通りに動くことが困難」だったのであって、「自分で動くことが困難」だったわけではありませんでした。自分でやることを決め、自分のペースで学ぶ構造を渡したとき、むしろ力を発揮した子どもたちが多数いたのです。

この経験は、自由進度学習を「何でもさせる実践」として理解することの危うさを同時に示してもいます。効いたのは「放置」ではなく、共通理解と関係づくりを丁寧に積み重ねた上で渡した「自分で動ける構造」です。失敗研究による共通言語、ヒーローコンテストや班キャラクターを通じた関係の修復——そのセット全体があったからこそ、自由進度学習が機能しました。

ヒーローコンテストは、「このクラスで一番になれそうなもの」を子どもたち自身が提案し、そのコンテストをみんなで楽しむという活動です。誰かのアイデアにみんなが乗っかることの面白さ、男女や派閥の壁を越えて一緒に動くことの快感が積み重なっていきました。班キャラクターと太陽・月・星のポイント制も、心マトリクスの語彙を集団活動に接続する試みとして機能しています。自己肯定感の低い状態からスタートしたクラスが、少しずつ手ごたえを取り戻していく過程でした。

概念をカードに捕まえる:QNKSの延長としてのキーカード

QNKSの本質は、自分の学びの中にある概念を切り取り、言語として操作可能にすることにあります。その延長として5年生で実践されたのが「キーカード」です。

学習の中で「これは」と思ったものを厚紙のカードに書き、隙間時間に繰り返し見る。いるカードといらないカードが分かれてきたら、いらないカードは全員の「知識の箱」へ。学期末には、その箱のカードを使った早押しクイズで総復習する——という一連の流れです。

> 「概念はカード化して手に持つっていうことをやれれば、非常に強いわけですよ。操作可能になりますからね。概念を手に持って操作するっていうことが、認知的にもすごく有利なので」

見えない概念を手に持てる形に変えること。それが、記憶の擦り込みを超えて「概念を使う力」を育てます。別のクラスになった子どもたちがわざわざ「キーカードをください」と言いに来たのは、この実感が子どもたちの中にも根付いていたからでしょう。概念をカード化して操作する発想は、QNKSが「知識を外に取り出して扱う」という基本動作と一続きになっています。

けテぶれシートと大分析が本格化した6年生

けテぶれシート
けテぶれシート

6年生は、葛原実践の多くが一つの形として結実した年でした。核にあったのが、けテぶれシートの本格的な運用です。

最初は記入量の負荷が高く、子どもたちがためらう様子もあったといいます。そこで、机の上に束を置いておくだけにして「書きたければ書けばいい」というスタンスに変えたところ、最終的にみんなが書くようになりました。毎授業1枚のけテぶれシートを通じて、子どもたちは自分の学習の手ごたえと思考の軌跡を言語化し続けました。

さらに大分析もけテぶれシートと接続されていきます。

> 「全部シートに自分の成長とか葛藤とか、そういうものを書き写すっていうことを、徹底的にやったのが6年生でしたね」

大分析は、テストや単元の終わりに「どこにいるか(現在地)」を確かめ、これからの学びを再設定する振り返りです。それをけテぶれシートに書き写すことで、学びの記録が一冊の蓄積になっていく。この構造が6年生で力強く回り始めました。

この年のクラスについて、葛原は「めちゃくちゃいいクラスでしたね。めちゃくちゃ楽しかったですね」と語ります。学年の最後にコロナ休校となった時、かつて問題行動を繰り返してきた子が泣きながら「学校に行きたい、みんなと過ごしたい」と言った——その一場面が、長い時間をかけて積み上げた実践が何をもたらしていたかを象徴しています。

実践が全国規模になっても、やっていることは変わらない

教職を離れてからの葛原に向けて「公教育をリタイアしたやつが何を言う」という言葉が投げかけられることがあるといいます。これについて、葛原は静かにこう返します。

> 「公教育から出た覚えが一切ないんですよね。(中略)僕はずっと公教育の中にいる人たちとしか関わってないし、公教育に関わることしか喋ってないので、公教育の中の人間なんですよ」

そして、こう続きます。

> 「学級でやってたことを全国レベルでやってるっていう、それだけの話で」

学級で、グラデーションのある子どもたちの中に「けテぶれ」に反応できる子が必ずいる。その子に熱く渡して立たせ、その背中を見て追いかける子を増やしていく——「信じて、任せて、認める」という動き方は、全国の教師たちの中でまったく同じ形で起きています。学級づくりと全国への発信は、構造として同型なのです。

公教育のボトムアップ改革とは、外から変えることではなく、中にいる人が動くことで波が広がっていく運動です。葛原がそこに立ち続けているのは、選択というより必然のように聞こえます。

おわりに:実践と人生の符合が、語りの深さを作る

けテぶれ・QNKS・心マトリクスは、一つひとつを取り出して「便利なツール」として使うことができます。しかし、このシリーズを通じて見えてくるのは、それぞれの実践が教師自身の人生——荒れた学年との格闘、失敗研究による共通理解、自由進度学習の中で力を発揮した子どもたちとの出会い、けテぶれシートに積み重なった記録——と深く結びついているという事実です。

道具を借りることと、その道具が生まれた文脈を理解することは、全く別の次元の実践に向かいます。

「今言っていることと、自分が生きてきた背景との接続を見出していくと、子どもたちに語れるものが分かってくる」——この言葉は、葛原実践を「輸入する」ためではなく、自分自身の実践の根を掘り下げるための問いかけとして受け取ることができます。あなたの実践は、どこから生まれていますか。

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